2017.11.01

「つ」のつく最後の年

息子たちが9才になった。「ここのつ」。
次は「とお」。

育児関連では、
「『つ』のつくうちは膝の上」という
言葉がある。
「『つ』のつくうちは手をかけて、
『つ』がとれたら目をかける」
というのも聞いたことがある。

まあ単純に年齢が二桁になるって
ことなんだけど。
(みもふたもない!)

食事やトイレや着替えが
ひとりでできるようになっても
「つ」がつくまでは
まだまだくっついてくるものよ、
手がかかるものなのよ、
という意味もあるだろうし、

「つ」がつくまでは
抱っこしたりハグしたり
隣に座ったり付き添ったり、
スキンシップや直接的な
愛情表現が大切よ
という意味もあるだろう。

そして「つ」がとれたら。

「つ」がとれる年齢は
小学4年生頃。
いわゆる、ギャングエイジ、
第二次反抗期。
体もしだいに変化してくるし、
周りや将来のことを意識し始め、
学校でも色々な摩擦が増える頃。

子育て講座で、
「オタマジャクシがカエルになるように
全く別の生き物になると
思っていたほうがいいですよ」
という話を聞いた。
「一人立ちをするために
大切な変化です。
動揺せず、あまり干渉せず、
これまで通り、
安心して帰って来られる家を
保ってください」とも。

「つ」のつく最後の年。
こんなにいろんな話をしてくれるのも、
母さん一番な蜜月期間も、
そろそろ終盤なんだなあ。
「母さん大好き星人」から
「母さんウザイ星人」へ。

自分も友だちも
変化していく環境の中で
何が待ち受けているのやら。
カエルの後ろ足が生えてくるような
変化を視野に入れつつ、
小学校中学年なりの蜜月期間を
親子共々、笑顔多めで
過ごしていけたらと願う。

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2017.10.18

「つい想像しちゃうんだよね〜」

怖い映画やテレビを見たあと、
トイレに行くのがなんとなく怖い
ってことは大人でもある。
うちの子たちは
その傾向が少し強いのか、
この年頃はまだこんな感じなのか、
サスペンス二時間ドラマのCMが
流れ始めたりすると、
耳を塞いでワーワー言いながら
チャンネルを変えて!と言う。
誰かが死んだり怖いめに合うシーンを
見たくないからだ。
進撃の巨人の映画やアニメの露出が
多かったころはTSUTAYAが鬼門だった。

一方でヒカキンチャンネルで
ホラーゲーム「青鬼」の動画を見たり、
危険生物の番組を
怖がりながらも見るので、
「興味が勝てば見ちゃう」のは
大人と一緒なのかな。
でもその後「トイレについてきて」
「洗面所についてきて」と言われるのが
困る。

さらにヒダリはニュースなどへの
反応も強い。
地震、ヒアリ、ガン、拳銃など。
「母さんガンにならないよね?」
「子どももガンになる?」
などとよく聞かれる。

「想像しちゃうんだよね〜。
楽しいことは忘れちゃうのに
怖いことは思い出して
色々想像しちゃう」

「読んでる間は怖いこと考えないから
本を読むんだ。ぼーっとしてると
怖いこと考えちゃうからさ」

そんな理由で本を読んでるって
知らなかったよ!

怖がりなのは悪いことではない。
怖いからこそヒダリの方が
先のことを考えて行動する。
想像力もあるし、
自分の気持ちを客観的に
見られているという一面もある。

私は東日本大震災が起きてから、
家から(子どもたちから)
少し離れた場所に行くときに
いつも少し怖いと思っている。
そういう人は多いと思う。

私がホラー映画を初めて見たのは
いつ頃だっただろう。
そういえばヒッチコック好きな母と
「鳥」を見たのは何才だったかな。







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2017.05.14

ホッとできる人と場所

とてもお世話になった女性が
引っ越されると聞いて、
少しの時間だったけれど
お部屋の片付け中にお邪魔した。

彼女は以前、
中国茶と家庭的なランチが
いただけるカフェを開いていて、
私はよくそのお店にうかがっていた。
靴を脱いで入るそのお店は、
インドや台湾で買ってきたという
置き物や食器などがあり、
彼女の家にお邪魔しているような
心地よさと安心感があった。

中でも一番嬉しかったのが、
赤ちゃん連れ、子ども連れ
大歓迎だったことだ。
「お子さんも大丈夫ですよ」ではなく、
文字通り大歓迎。
子どものおもちゃや絵本、
赤ちゃんを寝かせられるソファーベッド
など、物理的なものもそうだけれど、
子どもと一緒に遊んでくれたり、
子どもの言動を面白がってくれたり、
彼女は、お店に来る子どもたちに
会えることや成長が感じられることを
心から楽しんでくれているように
感じた。

ご自身も、働きながら二人の息子さんを
育てあげた先輩ママということもあり、
行くたびに育児の疲れを労ってくれたり
話しを聞いてくれた。

大人と話すことに飢えているあの時期、
肩身の狭い思いをせず、
お店で子どもを叱りすぎることもなく
安心できるご飯と
美味しい中国茶を飲みながら、
子どもと一緒に遊んだり
彼女とおしゃべりできる時間に
どれだけ助けられたことだろう。

ランチメニューは
ニンジンのじっくり炒めや
豆苗のごま油和えなど、
シンプルな野菜メニューが豊富で、
大人のメニューから
子どもが食べられそうなものを選ぶと、
プチデザート付きの子ども用ランチを
作ってくれた。
息子たちはデザートの
『手作りカステラ』が大好きで、
「今日はカステラあるかなあ」
と言いながら、
自転車の前と後ろに息子たちを
乗せて、お店に向かったものだった。

残念ながら、カフェは3年前に
閉店されたのだが、だからこそ、
彼女がカフェをオープンしていた期間と
私が幼い子どもの育児をしていた期間が
重なった幸運に感謝したい。

久しぶりにお会いして
あの頃の感謝の気持ちと、
おかげさまで
息子たちは8才になったこと、
お互いの近況などを話した。
帰りに、
当時、カフェで子どもたちが
大好きだった猫の写真集と
犬のぬいぐるみをいただいた。
持ち帰ると、子どもたちも
覚えていて、とても喜んでいた。

今彼女は、
プライベートが忙しい中、
前職の実績などを活かし、
カフェとは全く違う仕事で
活躍している。

育児の疲れや不安、
閉ざされた感覚や
労ってほしい気持ち、
叱りすぎることへの罪悪感
「大人としゃべりたい」
「今日は子供と何して遊ぼう」
「ご飯はどうしよう」
いろんな気持ちを受け止めて
もらっていたと思う。

私はまだ母になって8年生だけれど、
幼い子どもの育児真っ最中から
少しは客観的に見られる部分も
あるだろうと思うので、
彼女の何分の一かでも、
幼い子どもを育てているお母さんの
気持ちに寄り添いたいと思う。

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2017.05.04

ゴールデンウィーク 

4月から環境が変わった人にとっては、カレンダー通りのお休みであれば、少しほっとするであろうゴールデンウィーク。

現在、小さな保育園の給食作りをお手伝いしているのだけれど、4月に新しく入った子どもたちはもちろん、前からいる子どもたちも、3月までとは違う環境やリズムにとまどいながらも、新しいメンバーと過ごす経験を重ねて頑張っている。
保育園に送り出す親御さんも、初めて長い時間子どもと離れることや、お子さんの成長を心配しながらも見守る、緊張した日々を過ごしているのだと思う。

7年前、うちの子どもたちが保育園に入園した年のゴールデンウィークは、初めての集団生活の洗礼を受けて、病気ラッシュの真っ最中だった。双子だからお互いに移し合うことも多く、小児科の先生に「最初の1年はほとんど保育園に行けないと思ってたほうがいいよ」と言われた通り、夏休み頃までは病気続き。
今日は保育園に行ける!という日も、登園時に母さんと離れたくないと大泣きされるので、気持ちも体力も揺さぶられることが多く、落ち着かない日々を過ごしていたように思う。

そんな息子たちも小学3年生。
この春は、学校の統合やクラス替えなどで友人関係や担任が変わり、楽しいこともあるけれど、まだ少し居心地の悪さも感じている様子。それもあってか二人はゴールデンウィークを心待ちにしていた。(一番は、ゲームがたくさんできることみたいだけど)。

ゴールデンウィーク明けは、大人だって「明日から仕事か~」と思うもの。
うちの子たちは、「学校に行きたくな~い」って言うかもしれない。保育園の子どもたちも、ゴールデンウィーク前より、ぐずったり不安定になるかもしれない。

でも、ゴールデンウィークの楽しい時間やゆったりした時間が、日常に戻る元気や安心感、新しい日常を作る勇気につながればと思う。行きつ戻りつしながら自分の場所を作っていけるように。

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2016.12.21

お月さま探し

水曜日の夕方。
とても大きくて橙色のお月さま。

子どもたちと自転車で、
住宅街の空に
月が見えるポイントを探しながら家に帰った。
まだ低い位置にある月は
家たちに邪魔されてなかなか見えない。
月明かりに照らされて光る雲は見えるのにね。

周りの人からしたら、
ちょくちょく止まる自転車は迷惑なので、周囲を気にしつつ、
駐車場や横道など、ちょっとした隙間があると期待しつつのぞく。
少しでも見えると
「あった!」と喜ぶ。

一番よく見えたのは
自宅目前の道路で、
ベタだけどハッピーなエンディングのような流れに。

自転車を走らせ始めた頃は夕焼けだったのに、
家に着く頃にはすっかり夜。
子どもと一緒のこんな時間がとても楽しい。

後日、
あのお月さまがスーパームーンだったと知り、
子どもたちに伝えた。
思い出の風景がさらに色濃くなった感じ。

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2016.11.16

アウェイ感

最近、土曜日の子どもの習い事の付き添いを
夫に行ってもらうことが多い。

レッスンの様子を動画で撮ったりと
夫のほうが向き合い方が丁寧だったり、
習い事についての子どもの話もしやすいので
付き添いという物理的な面だけでなく
色々とよかったと思っている。

ある日夫が、
「女の人は大変だね。
子どもが新しい習い事をすると、
ママも新しいママ友との
つきあいをしなきゃいけないんだもんね」

おー、やっと分かってくれましたか。
前に私が似たような話を夫にしたときは、
「そうなのぉ」って反応で
がっかりしたことがある。

保育園や幼稚園、小学校、習い事など、
子どもが所属する組織ごとに
異なるママとのつきあいがあり、
例えば小学校ならPTAの仕事があるように
その組織ごとに係の仕事がある。

大げさな言い方をすると、
そのたびに転校生になるような、
新しい会社に入るようなアウェイな感じ。
気さくに話すのが得意ではないので
軽いプレッシャーと居心地の悪さがある

私みたいな人は少なくないと思うし、
大多数の人はそうなのかもしれない。
苦手そうには見えないママたちも、
居心地の悪さが嫌だから、
頑張ってしゃべってるのかもしれない。

そんなアウェイな雰囲気も
何度か行ってるうちに多少は慣れ、
親しいママができたり、
「しゃべること」で助けられることもある。

他のママやパパに子どもたちが
ほめてもらったり声をかけてもらう経験は
本当にありがたいと思うし、
近所に子どもを知ってくれている
顔見知りが増えることは
子どもを守ることにもつながるだろう。

ということで、いい面もあるのだけれど、
子どもの付き添い&観察という、
なんとなく手持無沙汰状況の中で
それほど親しくない大人たちと
同じ時間を過ごす母親たちの状況を
夫に少しわかってもらえて、
土曜日の付き添いに行ってもらって
よかったなあと
あらためて思ったのだった。

ちなみに付き添いに行ったときの夫は、
ママたちのおしゃべりから離れた場所で
子どもたちを見たり、居眠りしたり、
体操したり、大切な場面は
録画したりしている。
(50肩を発症してから
空き時間に体操することが
常となっていて
あやしい人になっていることもw)

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2015.06.18

入学して約2か月

ミギが夜に熱を出し、
翌日、小学校を初めて休むことにした。

ミギは学校を休めるので、ご機嫌。
ヒダリは学校を休めないので、不機嫌。

「いいな、いいなあ。熱っていいなあ」
「いいなあ。風邪になりたいなあ」
あきれるほど何度も言い続けるヒダリ。

そしてヒダリは、ミギの連絡袋を持って
小学校に登校。
(連絡袋には、欠席する旨を
描いた連絡帳と宿題が入っている)

ミギのほうはニコニコ顔でヒダリを
見送ると、小児科で診察してもらい、
帰りにコンビニでリンゴジュースを
買う予定が、私と交渉の末、
食玩を買ってもらい、
家に帰ると、食玩で遊んだり、
私と一緒にお昼を食べたり、
私と一緒にテレビを見たり、
本を読んだり。

子どもたちは、唯一、
体調を崩したときだけ、
私と二人だけで過ごせる。


学校からヒダリが帰ってきた。
宿題と明日の準備を終わらせると、
3人でスーパーに出かけて、
ミギに買ったのと同じ食玩を、
ヒダリにも買った。

家に帰ると、
二人とも外で遊びたがったが、
ミギはまだ微熱があるので外出禁止。
ヒダリは、初めて一人で、
児童館&公園に遊びに行った。

30分ほどして、ヒダリが帰ってきた。
まだ帰ってくるには早い時間だ。
「どうしたの?」と聞くと、
みるみる顔が変わって泣き出した。
手のひらを見せながら泣いている。
「仲良しの子が誰もいなくて、
遊びながら待ってたんだけど
すべり台でザザッってなっちゃって、
手をついて転んでけがしちゃったの~」
「痛かったねえ。
お友達がこなくて残念だったね。
でも待ちながらひとりで遊べたんだね」

実は、変な言い方になるけれど、
ミギの発熱が分かったとき、
「ヒダリのほうがよかったのかも」と
少しだけ思った。

その理由は、
ヒダリのほうが、
甘えたがっているというか
かまってほしがっているというか、
直接的ではないのだけれど
そうかな?と思うサインが
色々出ていたから。
“発熱”は一人だけで甘えられる
特別な時間を作ってくれるから。

そんなことを思っていたら、
ヒダリが手にケガして帰ってきて、
偶然だけど、なんか、
なるほどと思った。

傷口をよけながらヒダリの手を洗い、
お風呂では服を脱がせてあげて、
髪も体も、この日は私が洗った。
布団敷きも私がほとんどやった。
(「母さんが敷くね」と言ったら、
「こっちの手なら少しできるよ」と
ヒダリが少し手伝ってくれた)

子どものケガなんて珍しくないけれど、
手のひらってところがミソだなと。

「疲れが出てくる頃」とよく言うけれど、
小学校に入学して、2か月ちょっと。
熱を出したミギと、ケガをしたヒダリ。

とりあえずミギの熱は下がったし、
ヒダリのケガも治ってきているけれど、
サイン(と勝手に私が感じている)は
まだ出ている。
夏休みまで、約1か月。
元気に登校できるかな。


*

前回書いたのが1月だった…(汗)
その間に、
子どもたちは小学校に入学。
私は文章を書く仕事から
少し離れている。
(少しになるのかずっとになるのか)

そんなのろのろ更新のブログを
もしも、読んでくれた方がいたら、
とても嬉しく思います。
ありがとうございます。

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2014.12.06

あわてんぼうのサンタクロースのつづき

“あわてんぼうのサンタクロース”って
つづきはどうなるのかな?

お風呂に入ってるときに
子どもとそんな話になった。

思いつくままにちょっとふざけて歌ってみた。
(一字一句は覚えてないけど、こんな感じ)

♪あわてんぼうのサンタクロース
クリスマスの日にやってきた
だけどねプレゼント
わすれちゃって、
あわてて取りにいったよ。
あらら、あらら、あらら♪

「かあさん おもしろーい! 次は、次は?」

リクエストに応えて、
年が明けてからお正月に来ちゃったり、
季節を間違えて真夏に来ちゃったり、
次の年も、またちょうど1年目の
クリスマス前の同じ日に来ちゃったり、
と歌ってみると子どもに大ウケ。

次は子どもが作り出した。

トナカイを忘れて落っこちそうになったり、
洋服を忘れてはだかんぼうだったり、
ひげそりでジリジリとひげをそったり。
おならをしたり、おもらしをしたり。
(最後はどうしても、この年頃にありがちの
下ネタになっていく・・・)

普段お風呂では、
しりとりや、知ってる妖怪を言い合う、
知ってるドラえもんの秘密道具を言い合う
などのゲームをすることが多いので、
目新しく、子どもウケもよく
けっこう盛り上がったので楽しかった。

6歳前後のお子さんがいるお宅では、
もしかしたら、楽しめるかも。

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2014.11.22

こっそり かあさんにだけ

「きょうは ようちえんで にかい ないたんだ」
「ぼくは いっかい ないた」

「そうなんだー。なんで ないたの」

「おしえなーい」
「おしえなーい」

「じゃあ、こっそり かあさんにだけ
おしえてくれる?」

「いいよ」
「いいよ」

そして、一人ずつ
別の部屋に一緒に行って
泣いた理由を教えてくれる。

いまのうちだけだよなあ。

理由はもちろん、泣いたことも
教えてくれなくなる。

泣くことそのものを
我慢するようにもなる。

いまのうちだけなよなあ。

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2014.11.18

ショウリョウバッタ

まだこれほどに寒くない頃、
玄関先の狭い植込みに、
オンブバッタかショウリョウバッタが
2匹住んでいた。
葉が豊富だからか天敵がいないのか、
1カ月以上は住み続けていたと思う。

玄関を出入りするときに、
バッタを眼で探すのが私の日課になった。
子どもたちに「かあさん、きょうはバッタいる?」
と聞かれるのも日課になっていた。

私には、小さい頃から、
家の中で何かを飼うことへの欲求は
あまりないほうだったと記憶しているのだが、
家の植え込みに
勝手に住んでいるこのバッタを
可愛いく感じていたし、
夕方になるとベランダでよく見かけるヤモリ同様、
いなくなったら寂しいなと思っていた。

自分が子どもを育てるまでは、
“何かを飼いたがる子どもは世話好きなのだろう”
と思っていた。しかし、
息子たちの、なんと無責任にいろんなものを
飼いたがることか。
世話をするのは、
採って虫かごに入れたときだけで、
そのあとは、ろくに世話をしない。
そのくせ、お友達には見せたがる。

息子たちを見ていると、
子ども時代の私は、
何かを採ってきたり飼ったりする前に、
”何かを飼ったら、
 ちゃんと世話をしなければいけないし、
 し続けなければならない”
ということを最初に考えたために、
何かを飼うことへの欲求が
薄かったのではないかと思うようになった。

ああ。
なんだか全てのことに対する姿勢に
通ずるようで嫌になる。

とりあえずやってみよう!
やってみてから考えよう!
助けてくれる人もいるさ!
というふうには、生きてこなかった気がするなあ。
最終的には楽天的なほうだと思うのだけれど。

子どもが何かしらの生物を持ち帰る
 ↓
虫かごで飼う
 ↓
世話をするのが私だけになる
 ↓
世話ができないなら飼うなと私に怒られる
 ↓
ごめんなさいと謝る
 ↓
しばらくは世話をする
 ↓
また私だけが世話をする
 ↓
世話ができないなら飼うなと私に怒られる
 ↓
ごめんなさいと謝る
(このやりとりが何回が続き)
 ↓
最後には逃がす、もしくは死んでしまう。


もちろん、玄関先のショウリョウバッタも、
このサイクルの中に巻き込まれ、
最後は植え込みの中に逃がしたけれど、
その後、行方不明になってしまった。
冬は越せないらしいから
時期的に寿命だったのだろうと思うが、
少しさみしい。
来年の春も、あの植え込みに
バッタが住んでくれないかなと
少し期待している。


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