2016.12.21

お月さま探し

水曜日の夕方。
とても大きくて橙色のお月さま。

子どもたちと自転車で、
住宅街の空に
月が見えるポイントを探しながら家に帰った。
まだ低い位置にある月は
家たちに邪魔されてなかなか見えない。
月明かりに照らされて光る雲は見えるのにね。

周りの人からしたら、
ちょくちょく止まる自転車は迷惑なので、周囲を気にしつつ、
駐車場や横道など、ちょっとした隙間があると期待しつつのぞく。
少しでも見えると
「あった!」と喜ぶ。

一番よく見えたのは
自宅目前の道路で、
ベタだけどハッピーなエンディングのような流れに。

自転車を走らせ始めた頃は夕焼けだったのに、
家に着く頃にはすっかり夜。
子どもと一緒のこんな時間がとても楽しい。

後日、
あのお月さまがスーパームーンだったと知り、
子どもたちに伝えた。
思い出の風景がさらに色濃くなった感じ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.11.16

アウェイ感

最近、土曜日の子どもの習い事の付き添いを
夫に行ってもらうことが多い。

レッスンの様子を動画で撮ったりと
夫のほうが向き合い方が丁寧だったり、
習い事についての子どもの話もしやすいので
付き添いという物理的な面だけでなく
色々とよかったと思っている。

ある日夫が、
「女の人は大変だね。
子どもが新しい習い事をすると、
ママも新しいママ友との
つきあいをしなきゃいけないんだもんね」

おー、やっと分かってくれましたか。
前に私が似たような話を夫にしたときは、
「そうなのぉ」って反応で
がっかりしたことがある。

保育園や幼稚園、小学校、習い事など、
子どもが所属する組織ごとに
異なるママとのつきあいがあり、
例えば小学校ならPTAの仕事があるように
その組織ごとに係の仕事がある。

大げさな言い方をすると、
そのたびに転校生になるような、
新しい会社に入るようなアウェイな感じ。
気さくに話すのが得意ではないので
軽いプレッシャーと居心地の悪さがある

私みたいな人は少なくないと思うし、
大多数の人はそうなのかもしれない。
苦手そうには見えないママたちも、
居心地の悪さが嫌だから、
頑張ってしゃべってるのかもしれない。

そんなアウェイな雰囲気も
何度か行ってるうちに多少は慣れ、
親しいママができたり、
「しゃべること」で助けられることもある。

他のママやパパに子どもたちが
ほめてもらったり声をかけてもらう経験は
本当にありがたいと思うし、
近所に子どもを知ってくれている
顔見知りが増えることは
子どもを守ることにもつながるだろう。

ということで、いい面もあるのだけれど、
子どもの付き添い&観察という、
なんとなく手持無沙汰状況の中で
それほど親しくない大人たちと
同じ時間を過ごす母親たちの状況を
夫に少しわかってもらえて、
土曜日の付き添いに行ってもらって
よかったなあと
あらためて思ったのだった。

ちなみに付き添いに行ったときの夫は、
ママたちのおしゃべりから離れた場所で
子どもたちを見たり、居眠りしたり、
体操したり、大切な場面は
録画したりしている。
(50肩を発症してから
空き時間に体操することが
常となっていて
あやしい人になっていることもw)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.06.18

入学して約2か月

ミギが夜に熱を出し、
翌日、小学校を初めて休むことにした。

ミギは学校を休めるので、ご機嫌。
ヒダリは学校を休めないので、不機嫌。

「いいな、いいなあ。熱っていいなあ」
「いいなあ。風邪になりたいなあ」
あきれるほど何度も言い続けるヒダリ。

そしてヒダリは、ミギの連絡袋を持って
小学校に登校。
(連絡袋には、欠席する旨を
描いた連絡帳と宿題が入っている)

ミギのほうはニコニコ顔でヒダリを
見送ると、小児科で診察してもらい、
帰りにコンビニでリンゴジュースを
買う予定が、私と交渉の末、
食玩を買ってもらい、
家に帰ると、食玩で遊んだり、
私と一緒にお昼を食べたり、
私と一緒にテレビを見たり、
本を読んだり。

子どもたちは、唯一、
体調を崩したときだけ、
私と二人だけで過ごせる。


学校からヒダリが帰ってきた。
宿題と明日の準備を終わらせると、
3人でスーパーに出かけて、
ミギに買ったのと同じ食玩を、
ヒダリにも買った。

家に帰ると、
二人とも外で遊びたがったが、
ミギはまだ微熱があるので外出禁止。
ヒダリは、初めて一人で、
児童館&公園に遊びに行った。

30分ほどして、ヒダリが帰ってきた。
まだ帰ってくるには早い時間だ。
「どうしたの?」と聞くと、
みるみる顔が変わって泣き出した。
手のひらを見せながら泣いている。
「仲良しの子が誰もいなくて、
遊びながら待ってたんだけど
すべり台でザザッってなっちゃって、
手をついて転んでけがしちゃったの~」
「痛かったねえ。
お友達がこなくて残念だったね。
でも待ちながらひとりで遊べたんだね」

実は、変な言い方になるけれど、
ミギの発熱が分かったとき、
「ヒダリのほうがよかったのかも」と
少しだけ思った。

その理由は、
ヒダリのほうが、
甘えたがっているというか
かまってほしがっているというか、
直接的ではないのだけれど
そうかな?と思うサインが
色々出ていたから。
“発熱”は一人だけで甘えられる
特別な時間を作ってくれるから。

そんなことを思っていたら、
ヒダリが手にケガして帰ってきて、
偶然だけど、なんか、
なるほどと思った。

傷口をよけながらヒダリの手を洗い、
お風呂では服を脱がせてあげて、
髪も体も、この日は私が洗った。
布団敷きも私がほとんどやった。
(「母さんが敷くね」と言ったら、
「こっちの手なら少しできるよ」と
ヒダリが少し手伝ってくれた)

子どものケガなんて珍しくないけれど、
手のひらってところがミソだなと。

「疲れが出てくる頃」とよく言うけれど、
小学校に入学して、2か月ちょっと。
熱を出したミギと、ケガをしたヒダリ。

とりあえずミギの熱は下がったし、
ヒダリのケガも治ってきているけれど、
サイン(と勝手に私が感じている)は
まだ出ている。
夏休みまで、約1か月。
元気に登校できるかな。


*

前回書いたのが1月だった…(汗)
その間に、
子どもたちは小学校に入学。
私は文章を書く仕事から
少し離れている。
(少しになるのかずっとになるのか)

そんなのろのろ更新のブログを
もしも、読んでくれた方がいたら、
とても嬉しく思います。
ありがとうございます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.12.06

あわてんぼうのサンタクロースのつづき

“あわてんぼうのサンタクロース”って
つづきはどうなるのかな?

お風呂に入ってるときに
子どもとそんな話になった。

思いつくままにちょっとふざけて歌ってみた。
(一字一句は覚えてないけど、こんな感じ)

♪あわてんぼうのサンタクロース
クリスマスの日にやってきた
だけどねプレゼント
わすれちゃって、
あわてて取りにいったよ。
あらら、あらら、あらら♪

「かあさん おもしろーい! 次は、次は?」

リクエストに応えて、
年が明けてからお正月に来ちゃったり、
季節を間違えて真夏に来ちゃったり、
次の年も、またちょうど1年目の
クリスマス前の同じ日に来ちゃったり、
と歌ってみると子どもに大ウケ。

次は子どもが作り出した。

トナカイを忘れて落っこちそうになったり、
洋服を忘れてはだかんぼうだったり、
ひげそりでジリジリとひげをそったり。
おならをしたり、おもらしをしたり。
(最後はどうしても、この年頃にありがちの
下ネタになっていく・・・)

普段お風呂では、
しりとりや、知ってる妖怪を言い合う、
知ってるドラえもんの秘密道具を言い合う
などのゲームをすることが多いので、
目新しく、子どもウケもよく
けっこう盛り上がったので楽しかった。

6歳前後のお子さんがいるお宅では、
もしかしたら、楽しめるかも。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.11.22

こっそり かあさんにだけ

「きょうは ようちえんで にかい ないたんだ」
「ぼくは いっかい ないた」

「そうなんだー。なんで ないたの」

「おしえなーい」
「おしえなーい」

「じゃあ、こっそり かあさんにだけ
おしえてくれる?」

「いいよ」
「いいよ」

そして、一人ずつ
別の部屋に一緒に行って
泣いた理由を教えてくれる。

いまのうちだけだよなあ。

理由はもちろん、泣いたことも
教えてくれなくなる。

泣くことそのものを
我慢するようにもなる。

いまのうちだけなよなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.11.18

ショウリョウバッタ

まだこれほどに寒くない頃、
玄関先の狭い植込みに、
オンブバッタかショウリョウバッタが
2匹住んでいた。
葉が豊富だからか天敵がいないのか、
1カ月以上は住み続けていたと思う。

玄関を出入りするときに、
バッタを眼で探すのが私の日課になった。
子どもたちに「かあさん、きょうはバッタいる?」
と聞かれるのも日課になっていた。

私には、小さい頃から、
家の中で何かを飼うことへの欲求は
あまりないほうだったと記憶しているのだが、
家の植え込みに
勝手に住んでいるこのバッタを
可愛いく感じていたし、
夕方になるとベランダでよく見かけるヤモリ同様、
いなくなったら寂しいなと思っていた。

自分が子どもを育てるまでは、
“何かを飼いたがる子どもは世話好きなのだろう”
と思っていた。しかし、
息子たちの、なんと無責任にいろんなものを
飼いたがることか。
世話をするのは、
採って虫かごに入れたときだけで、
そのあとは、ろくに世話をしない。
そのくせ、お友達には見せたがる。

息子たちを見ていると、
子ども時代の私は、
何かを採ってきたり飼ったりする前に、
”何かを飼ったら、
 ちゃんと世話をしなければいけないし、
 し続けなければならない”
ということを最初に考えたために、
何かを飼うことへの欲求が
薄かったのではないかと思うようになった。

ああ。
なんだか全てのことに対する姿勢に
通ずるようで嫌になる。

とりあえずやってみよう!
やってみてから考えよう!
助けてくれる人もいるさ!
というふうには、生きてこなかった気がするなあ。
最終的には楽天的なほうだと思うのだけれど。

子どもが何かしらの生物を持ち帰る
 ↓
虫かごで飼う
 ↓
世話をするのが私だけになる
 ↓
世話ができないなら飼うなと私に怒られる
 ↓
ごめんなさいと謝る
 ↓
しばらくは世話をする
 ↓
また私だけが世話をする
 ↓
世話ができないなら飼うなと私に怒られる
 ↓
ごめんなさいと謝る
(このやりとりが何回が続き)
 ↓
最後には逃がす、もしくは死んでしまう。


もちろん、玄関先のショウリョウバッタも、
このサイクルの中に巻き込まれ、
最後は植え込みの中に逃がしたけれど、
その後、行方不明になってしまった。
冬は越せないらしいから
時期的に寿命だったのだろうと思うが、
少しさみしい。
来年の春も、あの植え込みに
バッタが住んでくれないかなと
少し期待している。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.09.18

ようちゅう

「おおきい ようちゅうを みつけたんだよ!」

幼稚園のお迎えに行くと、
プリンの空き容器の中に、
太くて白っぽくて丸まっていなくて
お尻に角のようなもののある幼虫が。
大人の親指くらいの大きさだろか。

「もってかえる」というので、
家に持ち帰って調べてみると、
スズメ蛾の一種らしい。

でも、「スズメ蛾」って初耳なんですけど。
メジャーな蛾らしいが、
蝶ならまだしも、蛾の知識なんて全くない。

面白かったのが、
子どもたちが次々とお友達のママたちに
幼虫を披露していたこと。
気持ち悪がられるのを楽しんでるんだもんな。

それにしても、
こういうの割と平気になったなあ。
見せられてもあまり驚かなかったし、
私も素手で触ったし。
ただ、何の幼虫かを調べようと
画像検索したときに、PCの画面が
バラエティ豊かな幼虫で埋め尽くされ、
それを凝視しながらスクロールしてたら
少し気分が悪くなったけど。

(なので、あえて幼虫の画像は添付しません)


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.09.10

ピント

子どもを抱っこすると、
近すぎて顔にピントが合わない。
いや、合わなくなった。

何年前くらいからだろうか。
スマフォ(携帯電話だったか?)の
メールやネットを読む時に
ピントが合いづらくなり、
“これが老眼ってやつねー”と思ってはいた。
それが今年(10月で45歳になる)になって
加速している気がする。

会社に勤めていた頃、
“老眼”という言葉のイメージよりは
はるかに若いと思う先輩たちが、
口々に老眼の進行具合について
話をていたので、
意外と早く“文字が読みづらくなる”ことは
知っていたが、
“我が子の顔がハッキリ見えない”
という事態になるとは想像していなかったので
“そう来るかあ”と思った。

息子たちはもう5歳(年長)。
頻繁に抱っこをするわけではないけれど、
抱っこをしながら顔をハッキリ見たいときは、
子どもの顔を少し離してピントを合わせる。

これから、ピントの合う距離は
もっと遠くなるのかもしれない。
でも、子どもたちも私から離れていくだから、
今のように感じることは
なくなっていくのだろうな。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.09.04

雨のしずく

雨の日。

子どもたちと川沿いの道を歩いていた。
横に並ぶと傘の幅もあって道をふさいでしまうため、
縦一列になって、私は一番後ろ。

私の前を歩くミギが、ピョンと両足ジャンプをした。
前に跳ぶジャンプではなく、上に飛び上がるジャンプ。

しばらく歩くとまたピョンと両足ジャンプをした。

私は “もしや” と思い、
「トトロみたいに、雨粒たくさん落ちてこないね」と言った。
するとミギは後ろを振り返って、
少し恥ずかしそうにへへッと笑った。

子どもたちは2日前に『となりのトトロ』を観たばかり。
初めて傘を持ったトトロが、
木の葉から傘に落ちる雨の滴の音をおもしろい!と思い、
たくさんの滴を落とそうと、ジャンプをするシーン。
それを真似していたのだ。

一番前を歩いていたヒダリが
「なになに? なんのはなし? おしえてー」ときたけれど、
たぶん、ミギはヒダリに知られたくないだろうと思い、
「何でもないよ~。それより、ちょっと来てきて」と
二人を呼んだ。

歩道の脇に植えられた大きな金木犀の木の下に
二人を立たせて木の幹を蹴る。
バタバタバタバタバタッとたくさんの滴が傘に当たる。

「もういっかい やって!」
また別の木で、バタバタバタバタッ。

「こっちのきでも やって!」
バタバタバタバタッ。

子どもたちは自分でも木を蹴って、
太すぎてびくともしなかったり、
身長より低い木を蹴ってみようとしたり。

でも、ランニングコースにもなっているきれいに舗装された道で、
大人が木を蹴っている小さな罪悪感と恥ずかしさ、
子どもにも木を蹴らせている罪悪感も少しあって、
私からやり始めたことなのに、
「もういくよ~」と早く切り上げさせてしまった。

そういえば『ドラえもん』を見ていた子どもたちに
「かあさん うらやまにいきたい」「うらやまに つれてって!」
と言われたことがある。

うらやまって、裏の山なんだけどねえ。

「母さんが子どもの頃は、裏山や空き地があったんだよ。
 秘密基地を作って遊んだりもしたよ」
「えー!。かあさんのこどものときの おうちにいきたい!」
「今はもう、裏山も空き地もなくなっちゃったんだ」

確かあの裏山にはマンションが建っているはず。
それにもし、今、裏山があったとしても、色々な安全面から、
子どもたちが遊べる場所にはできないだろう。
今思うと裏山も空き地も私有地だったと思うのに、
誰のものということ意識せずに遊ばせてもらってたんだな。

木を蹴って滴を落とすこと、
私は誰に教えてもらったんだったかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.08.30

あつくて ねむれない

涼しかったり、蒸し暑かったりのこの頃。

真夜中、「かあさん あつくてねむれない」
というミギの声に起こされた。
うとうとしながらも起きてみると、確かに少し蒸し暑かった。
布団に入ったときは涼しかったが、
雨が降ってきたからか、部屋の湿度が上がっている様子。

「扇風機つけていいから、近くに行って寝なさい」
少しすると
「まだ あつい! あつくてあつくて ねむれない」とミギ。

見ると、扇風機はついているものの、
風があまり当たらないところに寝ている。

「どうしてそこで寝てるの。 もっとあっちに行って寝なさい」
「なんか ぬれてるとこがあったの」
「自分の汗かよだれが少しついてるだけじゃないの。
涼しいところで寝なさい」
布団をササッとなでてみたが、それらしいところは見当たらず、
“おねしょ”じゃないことを確認した私はそう答えた。

と、すぐにまた
「せんぷうきつけても あつくて ねむれない!」とミギ。
「そんなに暑くないよ。扇風機に当たれば大丈夫でしょ」
「ねむれない!」

深い眠りのところで起こされた私は、早く眠らせてほしくて、
まあ、ぞんざいな対応をしていた。

「じゃあ、お水でも飲む?」
「のむ。のんで、おトイレにいく」
「じゃあ行くよ。早くおいで」

水を飲ませてトイレに行くとき、“はっ”とした。
ミギの体が熱い。

「熱があるね。熱があったんだね。
ごめんね気がつかなくて、だから暑かったんだね。
ごめんね、ごめんね」

私が謝ると、ミギがうなずきながら泣き出した。
きっと、暑がっていることがまちがってなかったこと、
やっとわかってもらえて安心したのだと思う。

あー、ダメじゃん私。
ミギが起きてきたときに熱に気がつかなかった。
子どもが小さい頃は、もっと敏感だったと思うのに。
ましてやあの子はあんなに「あつい」って言ってたのに。

涙はすぐに止まり、
そこからは“ぼくは病気で特別”という意識になったため、
真夜中にもかかわらず“テレビをみたい”と言い、
録画してある『ひつじのショーン』を一話だけ見てから
アイスノン枕をして眠った。

翌朝、起きたときにはまだ熱があったが、
朝食を食べ終わる頃には、もう平熱に下がった。

「きのう かあさん、ぼくに すごく あやまったんだよね~」
朝食を食べているとき、楽しそうにミギが言った。

「ミギが“あつい”って起きてきたんだけど、
 母さん、はじめは熱があることに気がつかなくて、
 だからごめんねってあやまったんだよね」
私は、ミギに応えつつヒダリに説明するように話した。

たいしたことがなくてよかった。

ミギにとっても私にとっても、
印象に残る夏の終わりの夜の出来事。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧