2018.04.20

『物語のなかとそと』江國香織 著

「ただいま」そんな気持ちになった。
久しぶりでどこか懐かしく、
そう感じている自分が嬉しかった。

書店の平積みの本の中に
『物語のなかとそと』という
江國香織の散文集を見つけた。
冒頭の1ページを読んだら、
近頃の私にしては珍しく
「続きが読みたい。読もう」と思い、
でも気軽に本を買える生活ではないので
タイトルを記憶して図書館で
借りることにした
(購入せずにごめんなさい)。

意外にも予約人数はそれほど多くなく
(ひっそりとした本だからだろうか)、
ほどなくして「ご予約いただいた資料の
ご用意ができました」というメールが
届いた。

くすっとしたり、ぞぞっとしたり、
羨ましかったり、ああ!と叫んだり
(心の中で)。
感情は静かに忙しいのに
文章はするすると入ってくる。
瑣末、潤色、愉しい、陶然、
かまびすしい、耽溺、含羞…
そんな言葉がちらほらと出てくるたびに
ほくそ笑む気持ちになる。
やっぱり好きだなあ。

子どもを産んでから
小説をほとんど読まなくなった。
読むものといえばもっぱら、
子育て、絵本、家族、料理、家事、
心理、運動や栄養など、何かしら
自分の生活に関する情報物がほとんど。
書店で小説を手にとっても「読む」に
至る本は少なく、読んでみても
少し頑張っているところがあった。

だから書店で『物語のなかとそと』を
見つけたときも、
「きっとまた私はそれほどは興味を
感じないんんだろうな。大好きな
江國さんの文章なのに」と
残念な思いをするのを覚悟で
試すように表紙をめくったのだ。

でも今回は、
私の生活にほとんど関係のない、
使い古された消しゴムたちの物語や、
奔放に咲く異国のチューリップの姿
などを愉しく読んだ。
散文集という形がリハビリ的で
よかったのかもしれない。

『物語のなかとそと』という
タイトルどおり、
短編小説もあれば随筆や書評もあり、
思いがけなく江國さんから
「文句なしにすばらしい」本や絵本も
教えてもらった。
(次に読むものを教えてくれるなんて、
ここにも隠れリハビリ要素が!)

最近、以前好きだったものが私に
帰ってきたような感覚をたびたび
感じていて、この本もそのひとつ。


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2017.11.01

「つ」のつく最後の年

息子たちが9才になった。「ここのつ」。
次は「とお」。

育児関連では、
「『つ』のつくうちは膝の上」という
言葉がある。
「『つ』のつくうちは手をかけて、
『つ』がとれたら目をかける」
というのも聞いたことがある。

まあ単純に年齢が二桁になるって
ことなんだけど。
(みもふたもない!)

食事やトイレや着替えが
ひとりでできるようになっても
「つ」がつくまでは
まだまだくっついてくるものよ、
手がかかるものなのよ、
という意味もあるだろうし、

「つ」がつくまでは
抱っこしたりハグしたり
隣に座ったり付き添ったり、
スキンシップや直接的な
愛情表現が大切よ
という意味もあるだろう。

そして「つ」がとれたら。

「つ」がとれる年齢は
小学4年生頃。
いわゆる、ギャングエイジ、
第二次反抗期。
体もしだいに変化してくるし、
周りや将来のことを意識し始め、
学校でも色々な摩擦が増える頃。

子育て講座で、
「オタマジャクシがカエルになるように
全く別の生き物になると
思っていたほうがいいですよ」
という話を聞いた。
「一人立ちをするために
大切な変化です。
動揺せず、あまり干渉せず、
これまで通り、
安心して帰って来られる家を
保ってください」とも。

「つ」のつく最後の年。
こんなにいろんな話をしてくれるのも、
母さん一番な蜜月期間も、
そろそろ終盤なんだなあ。
「母さん大好き星人」から
「母さんウザイ星人」へ。

自分も友だちも
変化していく環境の中で
何が待ち受けているのやら。
カエルの後ろ足が生えてくるような
変化を視野に入れつつ、
小学校中学年なりの蜜月期間を
親子共々、笑顔多めで
過ごしていけたらと願う。

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2017.10.18

「つい想像しちゃうんだよね〜」

怖い映画やテレビを見たあと、
トイレに行くのがなんとなく怖い
ってことは大人でもある。
うちの子たちは
その傾向が少し強いのか、
この年頃はまだこんな感じなのか、
サスペンス二時間ドラマのCMが
流れ始めたりすると、
耳を塞いでワーワー言いながら
チャンネルを変えて!と言う。
誰かが死んだり怖いめに合うシーンを
見たくないからだ。
進撃の巨人の映画やアニメの露出が
多かったころはTSUTAYAが鬼門だった。

一方でヒカキンチャンネルで
ホラーゲーム「青鬼」の動画を見たり、
危険生物の番組を
怖がりながらも見るので、
「興味が勝てば見ちゃう」のは
大人と一緒なのかな。
でもその後「トイレについてきて」
「洗面所についてきて」と言われるのが
困る。

さらにヒダリはニュースなどへの
反応も強い。
地震、ヒアリ、ガン、拳銃など。
「母さんガンにならないよね?」
「子どももガンになる?」
などとよく聞かれる。

「想像しちゃうんだよね〜。
楽しいことは忘れちゃうのに
怖いことは思い出して
色々想像しちゃう」

「読んでる間は怖いこと考えないから
本を読むんだ。ぼーっとしてると
怖いこと考えちゃうからさ」

そんな理由で本を読んでるって
知らなかったよ!

怖がりなのは悪いことではない。
怖いからこそヒダリの方が
先のことを考えて行動する。
想像力もあるし、
自分の気持ちを客観的に
見られているという一面もある。

私は東日本大震災が起きてから、
家から(子どもたちから)
少し離れた場所に行くときに
いつも少し怖いと思っている。
そういう人は多いと思う。

私がホラー映画を初めて見たのは
いつ頃だっただろう。
そういえばヒッチコック好きな母と
「鳥」を見たのは何才だったかな。







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2017.10.16

つまようじ

夫と子どもが果物などを食べた後
皿とつまようじが流しに置かれていると
「あーあ」と思う。
小さなフォークを使ってくれればいいのに。

なぜ、つまようじがイヤなのかというと、
ポリ袋にプスッと穴を開けるからだ。

つまようじは生ゴミ袋に捨てることも多い。
袋はギューッと空気を抜いて
キュッとしばってゴミ箱に入れる。
その時につまようじが入っていると、
プスッと穴があいて
空気が入ってしまうことがある。
水分も出てしまう。
直接ゴミ箱につまようじを捨てても、
ゴミ袋に穴があいたり
裂けたりするのがイヤなのだ。

つまようじはフォークと違って
ゴミになるからイヤだ
という気持ちもあるけれど、
それよりも何よりも、
あの「プスッ」がイヤなのだ。

でも、考えてみると、一度もこのことを
家族に言ったことがない。
「言うほどのことじゃない」という思いと、
私だって、野菜の茹で加減や
肉の焼き加減を確認するときなどに
つまようじをよく使うから。

でも、「あーあ」と思っているのなら
伝えたほうがいいのかもしれない。
今度思い出したら言ってみようっと。

私は「言わないでため込みがち。
ある日爆発する」傾向がやや強いので、
日常生活は
「言うほどのことじゃない」けれど
「気になっている」ことだらけで、
だからこそ言いにくくて
でももしかしたら、それが、
言わなきゃいけないことや
言ってほしいことだったりするよなあと、
つまようじを眺めながら
あらためて思ったのでした。

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2017.09.08

源ちゃん

夕飯を食べながら、
家族でドラマ『過保護のカホコ』の話を
していたとき、

息子が
「歌が源ちゃんなんだよね~」と言った。
それに対して夫が
「そうそう。星野源ね」と言うと、
「有名人の人は、呼び捨てにしないほうが
いいんじゃない?」と息子。

「でもミギだって、出川とかみやぞんとか、
呼び捨てしてるんじゃん」
「あっ、ほんとだ~」

********************
おそらく、
例えば音楽番組に星野源が出てくると
「あっ 源ちゃんだ!」と私が喜ぶので、
その「源ちゃん」という呼び方に、
尊敬や親しみや愛情みたいなものが
含まれていることを
息子は感じ取っているのだろう。
だから、夫が「星野源」と呼んだ時に、
源ちゃんや私(母さん)に対して
失礼な気がしたのだと思う。

思いがけない息子の夫への言葉に、
そんなに私、源ちゃん大好きオーラが
出ているのかしらと思ったり、
息子の正義感みたいなものを感じたり。
********************

その後、家族で色々な有名人を挙げては
どう呼んでいるかを確認した後、
夫が、「でも源ちゃんは、源ちゃんって
呼んだほうがいいと思うんだよね」と
息子に言うと、そうそう!というように、
息子はうなずいていた。


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